頭左で腹手前

「魚はね、お皿に載せる時、頭左で腹手前だよ」
 魚を焼いて皿に盛り付ける時、いつも父のこの言葉を思い出す。
 父は明治45年生まれで、苦学して旧制中学を出た人で、とても勉強家であった。生活する上で、また人と付き合う上で大切なことを日常の生活の中でいろいろと教えてくれた。他のことは長年の中で忘れてしまったが、この魚の盛り付けについてはよく覚えており、魚を焼いた時いつも、それを教えてくれている父の顔と一緒に思いだす。
 優しい父であった。普段私は父に怒られたことが無かった。父を怒らせるとすれば、それは1年に1度、1月2日の書き初めの時だけであったろう。
 私の子供の頃は、1月2日に必ず書き初めをした。正月の晴れ着を着て、姉弟3人並んで、父の指導のもと硯で墨を擦り、1メートル程の書き初め用紙に書く。その時だけは父のどなり声がとんだ。
「袖に墨がつく!」
怒られながら書いた書き初めは今では懐かしい思い出だ。
 
 初夢も父との懐かしい思い出だ。
「これを枕の下に入れて寝なさい。いい初夢が見れるから」
と言って、宝船の絵を渡された。
 2日の朝、どんな夢を見たか聞かれたが、今思い出さない所をみると、そんなに良い夢は見なかったのだろう。

 今日は2月の最終日だ。今年になってもう2か月過ぎたことになる。最近は暮、新年等と言っても、気持ちの上で、普段とあまり変わらない生活をしているが、私の子供の頃は新年は、とても厳かなものだった。
 手を切るように冷たい「初水」は、ほんの数時間前の暮れの水とは全然違っており、「新しい年になった」と身を引き締めた。今でも水道水を最初に使う時、この時のことを思い出すが、「初水」という感じがしなくて、同じ水かしらと不思議に思う。