大内人形

 片づけをしていたら、クローゼットの奥から珍しい人形の箱が出てきた。「大内人形」である。懐かしい。もうずっと箱から出していない。
 30代の終わりから40代の初め頃だったと思うが、職場の仲良し4人組で山口に旅行したことがあった。
 この4人組は、若いころ職場が同じになり、その後転勤してもずっと仲良くお付き合いしている木原さん、三村さん、松波さんと私の4人で、いろいろな所に旅行したものだった。1〜2歳ずつ年齢が違っていて、木原さんが一番年長である。年齢も性格も違うのに、なぜか気が合いずっと仲良くしている。
 
 ある日山口に出かけた。旅行の一切は木原さんの計画によるものである。見た景色も泊った宿も忘れたが、大内人形の工房だけはよく覚えている。牧野大内塗大内人形店、牧野豊氏が人形に一筆一筆心を入れて、漆を塗っている姿が今でもはっきりと目に浮かぶ。

 大内人形は、24代大内弘世が、京より美しい姫(陽緑門院三条氏)を迎えましたが、姫があまりに都を恋しがるので、これを慰めようと都より多くの人形師を呼び寄せ、大内御殿の一室を人形で飾って喜ばせた。町の人々はこれを人形御殿と呼んだ。このほほえましい物語から大内人形が生まれたのだそうです。
 大内人形は、まーるい顔かたちで、長くてやさしい目を一筆で描き、おちょぼ口をつけた愛くるしい表情をしています。これは、往時の殿と姫とを表現したもので、本うるし塗りで純金をつかい、手書きでつくった世界でも珍しい本格的漆芸人形です。木地師、下地師、磨師、塗師、うるし絵師の五者の合作です。

 大内塗は、今より六百数十年前百済琳聖太子を祖とする大内氏のもとに最も栄え、中国・朝鮮へも刀、朱塗の椀、蒔絵箱、扇など優れた塗物が多く輸出された。
 このデザインは雪舟の手によるといわれ、優雅な絵模様は、絢爛とさきほこった大内文化を偲ばせている。

 4人は大内塗や大内人形の説明を詳しく聞いたあと、それぞれ1組づつこの人形を買い求めた。わたしはその後しばらく部屋に飾っていたが、いつからか奥に仕舞って久しい。30年以上前の話である。


 その木原さんが昨年9月に脳腫瘍になり命も危ない状態で緊急入院した。びっくりしてお見舞いに駆け付けたが、心配な状態が続いていた。昨年暮れに快方に向かっているとの情報が入り喜んでいたところ、1月末には退院できるという。よかった!本当によかった!
また4人で、賑やかにおしゃべりしましょうね。