時の経過の残酷さ

 次回の文章の課題は「時」である。
「時」についていろいろと考えてみるに、若い頃元気だった人が最近急に亡くなったり寝たきりになったり、という知らせが入ってくる。
 一番最初は二年前の木原さんの病気だが、今年に入って三月に松波さんのご主人が亡くなり、五月に寺嶋さんが亡くなり、昨日、門川さんからの電話では小笠原先生が寝たきりになっておられると聞いた。
 小笠原先生は私のお茶の先生である。私が40代の終わりごろから老後の楽しみにと先生のもとに通い始めたが30人ほどのお弟子さんが次々にお稽古に見えて、先生も張り切ってお稽古をつけてくださった。初釜などのお茶会も盛大で、お稽古がとても楽しかった。
 引っ越してからはお稽古はやめた形になっていたが、あんなにお元気だった先生がわずか7年少しで寝たきりになってしまわれたとはとても想像できない。
 東京の息子さんのところに行かないで、一人暮らしを続けておられ、ぼけがきているので出歩くと危険なので、外からカギがかけられているそうだ。
 1日に何回か、市の人が様子を見に来てくれるそうだ。
 
 門川さんは親切に様子を知らせてきてくださったのだが、私はショックだった。わずか数年であんなに元気だった先生が鍵のかかった部屋で一人で暮し、もう寝たきりの生活であるとは、「時」の経過はとても残酷である。