今日も一口(いもあらい)を見に行った

 一口(いもあらい)が気になって、今日も見に行った。
久御山町のイオンからさほど遠くない。
 古代、現在の京都市伏見区宇治市久御山町にまたがる場所に、広大な巨椋池があった。豊臣秀吉による伏見城築城期の土木工事などにより姿を変え、昭和8年から16年にかけての干拓事業によって、農地に姿を変えた。干拓前の巨椋池京都府で最大の面積を持つ淡水湖だった。その大きさは甲子園球場の約200倍もの広さだったそうだ。
 京都盆地の最低地だった巨椋池のあたりには、北から桂川、南から木津川、東から宇治川巨椋池で合流し、淀川となって大阪湾にそそいでいた。
東一口は鳥羽上皇の時代以来巨椋池が干拓されるまで漁業を専業とする集落があり、その総師であった山田家の長屋門がかつての繁栄をしのばせていた。
 一口の由来は巨椋池が三方を閉ざされ1か所だけ淀川にむけて開口していたからとか村の三方を巨椋池に囲まれ村への入り口が1か所しかなかったためなどといわれている。
 いもあらいのいわれは不明だが病気が入ってこないように村の入り口に祀った神様「いもあらい」(いも=病気 疱瘡、あらう=はらう)が読み方となったという説がある。

 巨椋池のことは少しは知っていたが、今回いろいろ調べて、知れば知るほどすごい池だったことが解ってきて、本当に驚いてしまった。一口を「いもあらい」と読むことも、もっと調べてみたいと思う。
 見に行った一口は静かな田舎町だったが、白壁の土蔵が連なっていて往時の繁栄ぶりをしのばせていた。