新しき村

      
 病院に行く途中で、「実篤の新しき村美術館」という看板をみつけた。武者小路実篤のつくった「新しき村」はここだったのかと思い,次男に無理を言って寄ってみた。そこは、埼玉県入間郡毛呂山町葛貫である。丘陵地帯で、田畑、果樹、雑木林からなる。

「美はどこにでも  実篤」と、直筆で書かれた大きな石碑の前に、その「新しき村美術館」はあった。しかし、今日は月曜日であるため美術館はお休み。本当に残念だった。売店で、農場で採れた卵としいたけとお茶を買った。

「美しき村」という小冊子も「どうぞお持ち帰りください」と書いてあったので数冊いただいて帰った。

 もう42年まえだが、私が結婚した時叔母からお祝いに、この実篤の「仲良きことは美しきかな 実篤」と直筆で書いてかぼちゃの絵が描かれた食器1式を貰い、我が家はご飯茶わんから大皿に至るまで食器は全て「実篤」であった。
 今日一緒だった次男はこの実篤の食器を覚えていないようなので、次男がものごころつく頃にはもうなくなっていたのだろうか。
 
 今日はすごく懐かしい想いに浸れて幸せだった。美術館が開いておればもっと良かったのだが……。

 2004年9月号の「新しき村」を開いてみた。2〜3ページに「伝記小説に就て(抄)」(小島正樹 選)という題で、武者小路実篤の文が載っていた。その一部分。
「我等のかきたいのは、事実の羅列ではない。人間の心に響くものだ。先ず自分が感動し、最も深い興味を感じることだ。心が益々生々してくることだ。読者の心を生々させない作品をかくことは伝記小説をかく時も、言う迄もなく恥である」
「つくりものより本当に生きていたものの方が、人間の素質が出ていて面白い。伝記小説ばかりを書こうとは思わないが、時々は伝記小説もかいて、自分の内に生きられなかった自分を生かしたくも思う」